将来の夢
小学6年生の娘がいる。来春には小学校卒業である。最近の卒業式の定番だろうか、各自卒業証書を壇上でいただく前に、保護者の方に向きかえり「私は,将来○○になりたいです!」と宣言して受け取ることになっている。
私が小学生だった40年ほど前は、もちろんそのようなことはなかった。少子化もともない、式典自体に時間の余裕もあるのだと思う。
私自身、将来なりたい職業も、夢もなかった。保育園の卒園文集に、将来の夢『プロ野球選手』という文字が寂しそうに残ってはいるが、無論、夢というものを認識する以前で対象外である。有名なサッカー選手に限らず、小学校からもち続けた目標を叶えた人の話を耳にするたびに、羨ましくもあり、また不思議でもある。中学、高校と部活に明け暮れ、日々をなんとかこなしていた。『生きるとは何ぞや』という疑問なんて、到底目の前に現れることはなかった。
現在、私は50歳を過ぎている。昔でいう『人生50年。』をオーバーしているのである。もちろん私にも、将来はある。いつ途切れるか分からない将来がある。今からでも将来の夢を設定できる。それは一つとは限らなくていい。
ここでその夢の一つを『娘の夢が叶うこと』と書き記しておこう。
人気ブログランキングへ
私が小学生だった40年ほど前は、もちろんそのようなことはなかった。少子化もともない、式典自体に時間の余裕もあるのだと思う。
私自身、将来なりたい職業も、夢もなかった。保育園の卒園文集に、将来の夢『プロ野球選手』という文字が寂しそうに残ってはいるが、無論、夢というものを認識する以前で対象外である。有名なサッカー選手に限らず、小学校からもち続けた目標を叶えた人の話を耳にするたびに、羨ましくもあり、また不思議でもある。中学、高校と部活に明け暮れ、日々をなんとかこなしていた。『生きるとは何ぞや』という疑問なんて、到底目の前に現れることはなかった。
現在、私は50歳を過ぎている。昔でいう『人生50年。』をオーバーしているのである。もちろん私にも、将来はある。いつ途切れるか分からない将来がある。今からでも将来の夢を設定できる。それは一つとは限らなくていい。
ここでその夢の一つを『娘の夢が叶うこと』と書き記しておこう。
人気ブログランキングへ